パドヴァのとっておき。北イタリア・ヴェネト州パドヴァより、料理や季節のおいしい情報を中心に、日々のできごとを綴ります。 |
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数年前に訪れて、牡蠣やムールの養殖を見て感動した場所に再度戻る機会があった。前記事はこちら→ポー河口にて船散歩…アサリ、ムールそして牡蠣!
ここは、ヴェネト州のロヴィーゴ県のスカルドヴァーリという小さな漁業の町。この辺一帯は、ポー川のアドリア海へ注ぎこむ河口であり、小湾の入り組んだデルタ地帯となっている。国立自然公園に指定されている地域で、ヴェネト州とエミリア・ロマーニャ州の2州にかかる地域だ。
海と川が入り混じる…つまり海水と淡水の入り混じる場所でしかも海洋のように大きな波の立つことのない地形であるため、穏やかな水がたまりプランクトンなどの貝の餌が豊かとなること、そして海水だけで育つことがないため、塩味が柔らかく身がふっくらとしている。
そして、この地域のムール貝はイタリア国内では唯一のDOPに指定されている。DOPに認定される条件のうち、一個体の貝の総重量のうちの中身の肉が25%以上になること、というものがある。今年は春先の低温と降雨が極端に少ないことから、通常ではDOPとして販売される時期が4月中旬であるのに対し、6月第一週にようやくDOP解禁となった。
この日は、この地区でムール貝の養殖をしている漁業組合連合体(コンソルツィオ)の会長さんに案内されて各漁師の仕事場を訪れた。
ここら辺一帯の小さな漁師は、協同組合(コペラティーヴァ)に所属している。小湾(ラグーナ)には、あちこちに小さな古屋が設置され、水揚げされた貝の選別と大まかな洗浄が行われ、集積所へと運ばれる。
コペラティーヴァは1500名ほどの漁師及び作業員にて構成されており、集積所に運ばれた貝類はそれぞれの納品先ごとに袋詰めまたはパック詰されて出荷されることとなる。
ラグーナで育った貝は、ネットの中で大きくなる。小さな稚貝は6-8ヶ月かけて出荷できるほどの大きさに成長するが、この作業場にて選別され、大きさの到達しなかったものは、再度ラグーナに戻されて成長させる。
ラグーナではアサリの養殖も盛ん。アサリは砂利のような稚貝をゆっくりと時間をかけて成長させる。
その都度、ゲージを変えていくので、各ゲージごとに大きさの異なる成長過程のアサリを見ることができる。
アサリは出荷できるようになるまでは約1年半を要する。
この土地には、あちこちにこんな養殖場や作業場を見かける。それらを統括して販路を確保するのがコペラティーヴァ。集積所や梱包所、トラックの荷受け場など、小さな町の中で貝を扱うための作業所が点在している。小さな漁業の街、この土地の住人はほぼ漁業に従事しているのだそうだ。
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ヴェネト州の春の代表選手と言ったらコレ。バッサーノ産のホワイトアスパラDOP(Asparago bianco di Bassano DOP)。
今までに何度も何度もこのブログでも書いてきた。生産者を訪問、美味しいアスパラ料理の内容…。で、今年は再度、新たな生産者を訪問する機会を持ち、この品質の抜群の良さを改めて再認識している。
バッサーノ産のアスパラはアスパラとしてはイタリア国内で唯一、そして野菜としては比較的少数派である、生産地呼称のDOP (Denominazione di Origine Prodotto) に認定されている。
それは何かというと、その生産物が定められた地域内で生育し、生産され、そして出荷される、というもの。生産過程及び梱包、出荷まで全てに細かい規定が設けられており、それに従うことによってDOPというブランドを付加することが許される。
ちなみにDOPと同じように、生産物のブランドとして扱われるIGP (Indicazione Geografica Prodotto) がある。生産物により規定が異なるので一概には言えないが、わかりやすく言うと、DOPは生産の原材料となる生物(野菜の場合は種や苗、畜産物の場合には、動物の出生や生育地)の段階から、指定地域内であることが基本となるが、IGPは生産から出荷過程におけるいずれかの部分が規定地域外で行われることを許されている場合がある。繰り返すが、一概にいえることではない。
バッサーノ産ホワイトアスパラDOPの生産規定(Disciplinare)にも、細かく様々なことが書かれている。
それらをわかりやすく列挙すると…
まずは、見た目。
-美しい白色
-真っ直ぐでフォルマであること。そして穂先がしっかりと閉じている
-筋張らずに柔らかい
-新鮮な香りである
-全体に健康である
-洗浄がしっかりなされている
-洗浄後は水気を帯びていないこと。また、薬品などを使用した洗浄でないこと
そして、それらをクリアしたものに関して、太さと長さでサイズを区別している。
-直径11mm以下、長さ18-22cm
-直径11-14mm、長さ20㎝
-直径15㎜、長さ22cm
他、土壌の性質(養分やPH)、肥料、連作による障害の回避、定期的な土壌検査の実施や、収穫時期など畑から生産、梱包、出荷まで多岐に渡り細かい規定が書かれている。当然のことながら、指定された生産地域内で全ての工程が経られることが大前提。
さて、この日に訪れた農家は、この生産地域内でも、最大の生産者ではないかと思う大きな農家だ。
まずは畑での収穫作業。この大きな畑は2.5ヘクタールあるが、さらに倍に広げる予定がある。
白アスパラ畑の特徴である、黒いビニールに覆われた長い畝。その長さは150-180m。これを男性8名で朝6時から収穫作業を開始する。
というのも、白アスパラは強い日光に当たると美しい白色が変色してしまうため。日中の作業を避けるために早朝からのスタートだ。
まずは、黒い覆いを外す。畝の上部に成長したアスパラの頭がひょこひょこと出ているのが見える。
これの根元に向かって鉄製の先が二股になった棒で掘り起こし、穴の開いた土を専用のコテで表面を平す。そして再度黒い覆いをかけ直して…という作業だ。これを毎朝、畑の全ての畝に対して繰り返される。
収穫したものは、直ちにに作業場へ持ち込まれ、冷水に浸される。アスパラは収穫したところから劣化が始まるので、収穫後の処理が非常に大切。そして、洗浄しながら太さに分けての選別。上述のような3別にされる。
その後は納品先ごとに梱包。
DOPの商品となるには、姿にも決まりがある。
まずは、1kg用の木枠に、アスパラを丁寧に置いていく。
このときに、真っ直ぐで太さを合わせたものを揃える必要がある。枠にぴったりとはまるくらいで約1kgとなるので縛って束にする。
縛る道具は柳の若枝と決まっている。イタリア語では「サーリチェ」というのだが、ヴェネトではもっぱら「ストロッパ」と呼ぶ。若枝は柔らかくて扱いやすいので、その昔は農作業では頻繁に使われ、重宝されていたもの。ブドウ畑でも選定後の枝を縛るのはこれであった。
そして、写真のような黄色いのが適している。ピンク色や薄緑色のものもあるが、この黄色いのが柔らかくて作業がしやすい。現在の農作業ではビニール紐やゴムなどがあるのでそれらを使うことが通常となっているが、バッサーノ産DOPとなるにはストロッパが必須となる。これで縛っていないとDOPのタグをつけることが認められない。
そして、束ができると規定の長さに切る。この長さも専用の木枠を使い…
切り口も美しい。そして新鮮ならではの水々しさ!
そして、DOPの認定マークがこれ。
見た目も美しく、食べても美味しい。これがブランド野菜であるがゆえ。
DOPがついたものだけが良い、というわけでは決してない。同じ生産物を柳で縛らずに袋詰めにしたものはDOPではない、といえることもあり。
が、DOPである理由もそこには必ずしもある、ということは実際にモノを触ることで感じるし、食べることでも感じることでもある。
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北伊の春は、季節感たっぷりの美味しい食材が揃う。寒くて長い冬の終わりを感じる頃になると、急激に濃い緑色のものが目につき始める。いや、逆かもしれない。春先の食材が並ぶのを見て、冬の終わりを感じる。
いつもお世話になっているワイナリーは…私の現在のパートナーが運営しているオーガニックワインを生産するカンティーナだ。場所は私の住むヴェネト州の北側、フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州。オリーヴオイルもそう多量ではないが、生産し輸出もしている。
ワインを製品にしていくということは、畑でブドウを育ててカンティーナで醸造する…なんてことだけではない、その周辺にあるたーくさんのことを毎日こなしていくこと。本当に本当に仕事は尽きることがない。
そんな仕事の合間のある午後、彼のお父さんが、裏の畑に生えているスクロピットを摘みにいこう、と誘うのでカゴを手について行った。
この地域の土は石ころだらけ。畑をつくる際にも、ゴロゴロした石ころを砕きながら耕す必要がある。そんなところにサラダ用のラディッキオの種を撒いてあって、毎朝のように食べる分を摘んでいる。みためは荒れた空地みたいだが、力強い野菜が育っている。
そこに今回のお題、スクロピットが生えている。
スクロピットとは、シラタマソウの若葉。シレーネ(silene)というのが一般名。スクロピットというのは、フリウリで呼ばれている名前で、ヴェネト州にいると、それはカルレッティと呼ばれる。私はその後者の名前の方が実はしっくりとくる。
パドヴァのメルカートでも、この時期はこんな風に束にして売られているものだ。スーパーでもパックに入って売られている。
で、この日のお父さんとの収穫に話を戻すと…。そんな石ころだらけの畑(?)のあちこちにスクロピットが自生している。それ上部の柔らかいところを摘んでいくのだ。あっちこっちに生えているので、10分もすると結構な量となる。
摘んできたこれらは、何の料理にするかというと、リゾットにするのが最も一般的。少しだけ玉ねぎを炒めて、細かく刻んだスクロピットを炒める。米を投入し、都度ブロードを加えながら米を適度に炊き上げ、仕上げにグラーナとバターでまとめる。
口の中いっぱいに独特の甘さが広がる。美味しい春の香り。
フリッタータにしても美味しい。
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長い冬が終わって、ようやく暦上でも春がやってきた。まだまだ朝はゼロ度を行ったりきたりして、山からふく風はとても冷たいのだが、確実な春の到来は否応にも感じる時期。良い季節。
ブドウ畑は冬の仕事を少し前にようやく終わって、今は静かに彼らが冬眠から目を覚ますのを待つ時期。
とはいえ、仕事は山ほどあるんだけれど、昨年冬前から少しずつ計画を実行してきていた新しい一区画の畑の拡大を、急ピッチに進めている。
急ピッチに…というのは、特に締め切りがあるわけでもないのだが、とにかく「できるうちに」やるのが必然的にモットーになるため。
畑エントランス部分に昔からあった広場部分の大きな大きな5本もあった松の木を取り除いた。
なんでも、その昔はここでエノテカをやっていたらしく、たくさんの酒飲みが集まってきたのだとか。その話を聞く度に、その時代からここの農家と知り合っていたかった、と思う。
そこをまずは耕して、そしてもともとの畑のブドウのラインに合わせて線を引き、支柱をたて、灌漑用のホースを伸ばした。
天気とも相談なのだが、何日も晴天が続き、土が湿りすぎないような日に向けて数日前から計画をし、苗を植えるラインを掘り起こす。
苗は、この農家の若き主人の恩師から純粋種を分けてもらったものだそう。それはもう数日前から根を水に浸して苗に息を吹きかえさせている。
さて、作業当日。
一本一本を予め等間隔でたてておいた支柱を頼りに植えていく。一人がスコップでさらに土を起こし、私が苗をまっすぐにたてたところに土をかぶせ…と、いう作業の繰り返し。腰と腿の筋肉がピリピリして大変(翌日はもちろんひどい筋肉痛)ながら、結構なスピードで約500本を植えた。
その後はトラクターで再度通って、新たに植えた苗のラインに土を全体的にかぶせる。その後は列と列の間に草を生やすために種を撒く。
ブドウの畑作りをする人には、ここに撒く草にはいろいろな考えがある。撒く草や植物にも土壌に栄養素を与えたり、栄養素の増減を調整する目的があったり等々、様々な言われがあるからだ。ここでは、特に草をはやして根をはわせ、土壌を安定させるための目的なので、生えてくる草も何種類がミックスの種を撒いた。月日が経つと、現在ある畑と同じような草となって慣れてくる。
ということで、一雨降ってちょっと土が落ち着いてくれるのを待つ。
畑から戻ると、家の玄関に置物みたいにこちらをじっと見据えて座る愛犬Billy。とっても利口。
もー、可愛くて仕方がない。
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コロンバについてイタリアを代表するパスティチェレのマッサーリ (Iginio Massari) 氏が話した記事より
Reporter Gourmet
Storia della colomba moderna da Dino Villani a Iginio Massari: "non è certo u dolce minore rispetto al panettone"
https://reportergourmet.com/198786/storia-della-colomba-moderna-da-dino-villani-a-iginio-massari-non-e-certo-un-dolce-minore-rispetto-al-panettone.html
ディーノ・ヴィッラーニ(画家、彫刻家、マーケティング戦略家)によって、我々の生活はどれほど変わったのだろうか。芸術的で絵画的そして彫刻的…クリエイティブで革新的なマーケティング、プロモーションの展開により、私たちの生活及び消費活動には少なからず影響を受けている。彼が存在しなければ、おそらく「君の笑顔は5000リラの価値がある」とコピーをつけ、1939年の第二次世界大戦下という不安定な情勢の中ででも活気的に開催された「ミス・イタリア」は存在しなかっただろう。
また、恋人同士によるサン・ヴァレンティーノを祝う商業的企画などもなかったはずだし、ボッコーニ経営大学院に通う学生がこれほど多くなることはなかっただろう。
オーリオ・ヴェルガーニ (Orio Vergani) (小説家、ジャーナリスト)とは共にアッカデミア・イタリアーナ・デッラ・クチーナを創設にも寄与した。
そして、コロンバに関しても新たな存在価値を与えた。特別な日であるパスクアをさらに特別なものに…食卓にはコロンバを、と口にしたのだ。
※ディーノ・ヴィッラーニ (Dino Vilani) は、後述にもあるが、パネットーネの製造機械化で大量・安定製造を成したミラノの「MOTTA(モッタ)社」の販売プロモーションを引き受けたことで知られる。同社のロゴを作り、モッタの「M」を広く有名にしたことが後にも非常に有名となっている
コロンバの歴史はロンゴバルド族の王、アルボーニオに遡る。パヴィア包囲(侵略)の際の事、時代は6世紀だ。市民から和解を求めて王に平和のシンボルである鳩の形を模したドルチェを進呈したこととされる。または、7世紀のやはりパヴィアにて、ロンゴバルドの王女テオドリンダにより昼食に招かれたアイルランド人の神父、サン・コロンボへの振る舞いの際、四句節の終盤に野禽獣を食べないとのしきたりを尊重するため、鳩の形をした肉ではないデザートを彼のために用意したことから、とも言われる。さらには1176年のレニャーノの戦いの際、2羽の鳩がロンバルディア同盟の旗に添えられたことから祝いの印として定着した、等々。
どれも逸話とされるのだが、これらの言われの意図を少しづついいとこどりをし、コロンバをパスクアの日の特別なドルチェとして定着を図ったのだろう。
1930年代、パネットーネの大量生産を始めるモッタ社のプロモーションを引き受け、ロゴをつくりあげた時代、同様に、パスクアという特別なフェスタのためのドルチェも定着させるように努めたのだった。
発祥の由来はそんなことから、一般的にはロンバルディアということとは収まってはいるが、ヴェローナが発祥のフォカッチャにも似ており、それがオリジナルだ、との他説も生まれた。
当時は、コロンバに対してそれほどの定見もなく、先駆的なものであったのだが、現在ではその基準も普遍化しており、パスクアのドルチェ=コロンバという認識が完全に定着した。いまだ不明瞭なところもあるものの、イタリア全土にての認識がこうして確立されつつある、というのが現実のようだ。
「生地の技術はパネットーネと同様、自然酵母です。生地に混ぜるものは各人の方法や好みによりますが、基本的にはオレンジピールが王道、あとはそれを干ぶどうに変えるなど。少しコストは抑えられる、という意味もあります」とはマッサーリ氏。そして、イタリアのパスティッチェリは発酵菓子が心底好きだ、と言う。
「消費者はコロンバとパネットーネは違うものだと認識しています。パネットーネを100でコロンバを40として販売しても。でもそれは形の違いというだけのものなんです。例えば1kgのパネットーネを焼き上げたとして、店の棚には20cmの幅が必要です。対してコロンバは40cmが必要となる。ということは、コロンバの方が(型の形から、高さが低く表面積が広いから)早くに乾いてしまう(つまり劣化するという意味で)。同じ量を仕上げても、場所を占領し、さらには販売のリスクも高い。表面に砂糖がけをかけるのがコロンバですが、店頭ではこれが溶けて商品価値が落ちる原因でもあります。今日では、20日間くらいならば良い状態を保つことができるテクニックもありますが、やはりデリケートなものなんです。」
「コロンバはデリケートなために保存に気を配る必要があります。また、暖かくなる季節にあたるため、気温上昇のために受ける影響もあります。とは言え、とにかくコロンバの美味しさは新鮮さにあるのです。」
「不出来なコロンバは、その製造テクニックの不足、つまりは生地の工程がうまくいっていない、上がけの不具合、焼成の不具合等。そして材料の選択間違いも原因となります。究極に言うとシンプルですが、バターはバターであり、砂糖漬けは砂糖漬けでなければならない。そして、私が強く言いたいことは、コロンバは決してパネットーネのミニチュアではない、ということです。」
REPORTER GOURMET より記事翻訳。画像も。
https://reportergourmet.com/198786/storia-della-colomba-moderna-da-dino-villani-a-iginio-massari-non-e-certo-un-dolce-minore-rispetto-al-panettone.html
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パドヴァの守護聖人は、イタリアだけではなく、ヨーロッパ各地のカトリックの聖者から多く愛されている聖アントニオ(サンタントニオ)だ。
街のシンボルはどうじんが祀られた大聖堂でもあり、パドヴァに由来する多くのものに「アントニオ」という名が付けられているものを見かける。
サンタントニオの歩んだ聖道というのが残されており、全長何百キロ人もおよぶアントニオも歩いた道が残されているだが、パドヴァにはその最後の遊歩道「ルルティモ・カミーノ 8L’ultimo Cammino」という全長約24kmを指す歩道がある。
ブレンタ川の川沿のパドヴァの北側に位置するカンポサンピエロからパドヴァまでを繋ぐ道。
昨年のロックダウン以来、今までは忙しくて意識していなかった(意識しようとしていなかった)運動不足解消のために頻繁に出かけるようになった。もちろん遠出などせずに近場で。
パドヴァの街は川に囲まれているということもあり、川沿のルンゴ・アルジーネと呼ばれる川辺の遊歩道が街の中心からもそう無理せずに行ける。
それらは、ウォーキングやジョギング、犬の散歩、そしてサイクリング者にはうってつけの場所で、特に週末ともなると多くの人々が運動目的またはリラックスのためにやってくる。
私もいつもいく場所を常に微妙に変えながら、川べりをい無心になって歩き続ける、というのが気に入っている。川辺の土手沿いにたつ家々やそれらの庭を見たりするのも楽しいし、遠くにあると思っていた建物や教会が意外と歩いてでも行けるんだ、と気付いたり、川面に映る季節の変化を感じながら、ラジオを聞きながら、そして仕事のアイデアを無心に考えたりする。
そして何よりも、朝陽を浴びてリフレッシュできるところがいい。私が出かけるのは、大抵、朝の早い時間。まだ薄暗くて人もまばら、という時間帯が好き。
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フリウリのソウルフィードのひとつともいえるだろう。
知人のカンティーナに手伝いに行った際に、他のカンティーナにそれまた知人をひょっこり訪ねて行った先での頂き物。
プロヴァーダとは、カブをブドウの皮に浸してそのまま発酵させたもの。カブの収穫期は10月初旬からで、ワイン醸造を目的とするこの地域のブドウの収穫時期と重なる。
というのも、ブドウ収穫後は(赤ブドウの場合)、軽く圧搾(もしくは圧搾なし)して皮ごとのブドウの実を放置し、果汁に皮の色素や要素を移す。その後、絞って皮や果軸等を取り除く。いわゆる搾りかす(ヴィナっチャという)なのだが、この絞りカスにカブを浸け、1-2ヶ月置いておく。ブドウの皮には元来の酵母が含まれているので、絞りカスとはいえ、カブを発酵させるだけの余力はまだ持っている。
きっと、偶然、自然に出来上がった代物なのだろうが、実によくできているものだと関心する。野菜の少ない冬場を乗り越えるためのカブの保存方法として、ブドウの皮の発酵の力を借りてできているもの。カブの収穫時期とブドウ醸造のちょうど良いタイミングとが織りなす代物だ。
話を戻すと、知人の行く手に着いて行ったら、納屋の端の大きな樽の液体(ヴィナッチャに埋もれた)の中からおもむろに手で取り出されたもの。
もちろんフリウリ各地のオステリア等で食べたことは何度もあるが、実際に自分でその丸ごと素材を頂いたのは始めてで、少々興奮。
友人のカンティーナのお母さんに作り方を聞いて早速調理。
ニンジンなどのサラダを作る時に使うおろし金でカブを細く切る。それをオイルとニンニクで一度炒め、水を加えて煮込みに入る。途中から蓋をし、必要に応じて少しずつ水も足しながら塩、胡椒をして約2時間。
調理する前から独特の発酵臭を放っていたそれは、火にかけたらさらに強烈!酸味がかなりたつので、塩を気持ち多めに加えて味を調整。
ブロヴァーダは、ムゼットという、豚のミンチ肉の太い腸詰を茹でたものと共に食べる、というのがお決まりのパターン。
この姿が王道の王道スタイル。
実はブロヴァーダと一緒に彼らの豚のムゼットも勧められたのだが、これは持ち帰らなかったので(うー、無念!)、その代わりに、ヴェネトの太いソフトサラミ、ソプレッサや生パンチェッタ、プロシュットなどと一緒に頂いた。
とにかく、このなんとも言えぬ酸味は豚の脂身が非常に合う。抜群の組み合わせ。
フリウリには、このブロヴァーダとインゲン豆を煮込んだミネストラの「ヨータ (yota)』という料理がある。私も残りのブロヴァーダは明日、ミネストラにする予定。
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昨年末からの家族でのフェスタの料理の一つにバッカラ・ヴィツェンティーナ (baccalà alla vicentina)をたっぷりと量も時間もかけて作った。戻したストッカフィッソをオイルと牛乳、おろしたグラーナでじっくりと煮込む料理だ。
ストッカフィッソはガチガチに乾燥しているメルルーサなのだが、これは水で戻して使用する。しかし、最低3日は冷水(流水であればなお良い)で戻す必要があり、さらにはその間はとても匂いがきついとあり、私は戻してあるものを店で購入することにしている。ただし、今までの経験上、そのクオリティにはかなり差が激しく、信頼しているパドヴァのチェントロにあるガストロノミーアで買うのが一番、ということを覚えた。
で、そもそもストッカフィッソとは何なのか。料理名はバッカラというくせに、使用する素材は、バッカラではなく、ストッカフィッソ。ヴェネトではかなりこの両者が混同されていて、バッカラ・マンテカートという有名なヴェネツィア料理に使われるのも、実はストッカフィッソだ。
まずは、素材となる魚。これは両者ともメルルーサ。タラ科の大型の白身魚だ。そのうちでも特にノルウェー産のもの。種類としては、gadus morhuaに限られるらしい。
ここで製造工程を見てみよう。
まずは、ストッカフィッソ。
捕獲した魚は、船上で頭と内臓をとり、すぐに血抜きが行われる。その後、陸へ運ばれ、乾燥の工程へ。ここは冬のノルウェー、低温で風の通る吹きっさらしで専用の木の竿に吊るされる。この工程を “stocks” と呼ぶことから、”stockfish” = “stoccafisso” と呼ばれている。
この期間は、とにかくノルウェーの自然に頼る。期間としては2-3月。この時期のこの土地の気候が最高のストッカフィッソを仕上げるのに最適だ。
3ヶ月間を外気で乾燥させた後、屋内に運ばれ、熟成期間に入る。屋内は常に乾燥していることが必須。ここで約1年間寝かせておく。まるでワインの熟成のようだが、またこれと同じく、捕れた年により、毎年の仕上がりが微妙に異なるのだとか。
最終的には元の原料に対して70%の水分が除去される。
その後、選別されて世界各地へ、そして世界各地の食卓へ…ということとなる。ストッカフィッソを食するのは、イタリアを筆頭に、クロアチア、イギリス、フランス、アメリカ、スイス、カナダ、そしてナイジェリアなど。
対してバッカラとは…
バッカラという名の由来はノルウェー語の “klippfisk” 岩場の魚、という意味なんだとか。それも、この地域では伝統的に漁れたメルルーサを海辺に近い河の岩場で保存用に干していたことからということらしい。
製造工程は非常にシンプルだ。まずは塩漬け。魚は3枚におろし、そこに塩をたっぷりとまぶす。目安としては、1kgあたり0.5-1kgの塩を使用する。そして、それらを重ねていくことにより、自身の重みで水分が抜けていく。塩漬けの期間は、現在は、売り先の国の嗜好に合わせるのだそうだが、およそ10-20日間。
その後、乾燥の工程に入る。重ねられていたそれらは、一枚ずつ平らな網の上に並べられる。温度と湿度をコントロールされた場所で現在は製造されるが、もともとは寒い時期に捕獲されたメルルーサを処理して塩漬けにした後の時期がこの乾燥室の環境設定なのだろう。
ここで軽く乾燥させ、選別されてこれらは冷蔵で保存される。
もともとの原料は同一ではあるものの、製造が異なることによって、使われ方も異なる。イタリア国内でも北部より南部にてはこのバッカラを使う傾向が強いが、世界的に見ても、前述の通りに様々な国々で使われるとはいえ、こちらの方がもっとポピュラーに広く使われているようだ。例をあげると、イタリア、フランス、デンマーク、ポルトガルなどのヨーロッパ各地の他、ブラジル、メキシコ、アメリカ、カナダ、アフリカ南部にまで行き届く。
偉大な保存食。
私のバッカラ・アッラ・ヴィツェンティーナは、塩分もギリギリのところで油も極力できる限り控えめにして、丁寧に仕上げた結果、とっても美味しくいただいた。もちろんそのお供には、極上の柔らかく炊いたポレンタを添えた。
画像の一部は下記から引用しました
https://cod.fromnorway.com/it/
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毎年この野菜のことを触れて何回目の冬を迎えるのか…
ヴェネトの冬に切っても切り離せない野菜。ラディッキオ。何度も何度もこの野菜については自分の備忘録も残してきて、またそのヴァリエーションの品種に関しても触れてきたように思う。
ということで、過去に書いたものをいくつか振り返ってみようと自分のブログを見直してみたら、結構な数の過去の記事が出てきすぎて、どれが最適にこの野菜を説明しているのかわからなかくなった。
なので、短めにまとめたこの記事が大まかな概要がわかると思う。
↓↓↓
イタリア好き通信
「ヴェネトの冬!!トレヴィーゾ産ラディッキオ タルディーヴォ種IGP」
この野菜の魅力に惹かれて生産農家と知り合ったのは、2012年だったらしい。その間、何度も何度も行き来を繰り返し、半分家族みたいにしながらも日本への輸出も行うなど、仕事も一緒にしたりしている。
2012年に知り合った当時とは、会社としての方向も規模もかなり変化がある。規模も大きくなり、出荷先や出荷体制にもかなりの革新もある。何よりも、会社を動かす中心が30代の息子(当時は20代だった)に替わっている。とはいえ、品質や生産計画には、やはり父親の意見が最も重要。
近年は、気候の変化から本来の寒い冬の訪れがどんどんと後方にずれている。もともと、この野菜がIGPの認証マークが付けられるのは、規定により、畑に2回霜が降りてからとされているが、昔は11月初旬を目安としていたものも、中旬くらいにまで遅れているのが現状。
これが、IGPマーク。箱の内容量の上限規定に沿って、このシールが出荷の際に貼られる。出荷元はこの番号を全て」控えておき、協会に提出する義務がある。このマークはもちろん有料。
とはいえ、今年のものはかなりいい感じでその季節を迎えているようだ。
同農家の主な卸し先は、大型スーパーチェーン、市場、そして食品加工会社(冷凍食品やチルド食品など)。それらのうちでも、需要も売価格もそれなりにいいバランスを保っているとのことで、ものすごい勢いで朝から夕方遅くまで出荷準備に追われている。
12月が一番のかき入れどき。難しい2020年を挽回すべく、もうひと頑張り、ふた頑張り。
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ここ数年気になっている黄色い粉がある。
フリウリの高原地方のカルニア地方、ソッキエーヴェという場所で作られる古代品種のトウモロコシからできるポレンタの粉だ。
カルニア地方というと、フリウリの中でもさらに特別な歴史や食文化が残る地区。その地域内に存在した古代品種のトウモロコシを数年かけて品種を選別をしながら取り戻し、現在ソッキえーヴェのポレンタの粉として少量ながらにも商品としている農家がある。
このトウモロコシは、濃い黄色、そして濃い紫色に近い赤色、さらにはもっと色が深く黒に近いくらいにまでなるものだ。これらをこの高原地の澄んだ冷たい空気で自然乾燥し、粉にする。
粉挽きには、石臼が使われ、全粒~半全粒ほどに挽かれる。石臼で挽くと、その粒子が不揃いで、粉の表面が角々しくなる。これが、炊いた後、口に入れると良い風味が広がることにもつながるんだそうだ。機械挽きして表面がなだらかに均等に挽かれたものとはかなり違う。
トウモロコシの種の選別、春先の土おこしから始まり、最終的な製品になるまで、丁寧に時間と手間をかけるだけある。たかがポレンタの粉、と思って口にするとその味わいの奥深さにはっとさせられる。
この地方には、「トック・イン・ブライデ(Toc in Braide)」という料理がある。耳慣れない響きの料理名の本来の意味は「Toc = Intingolo (浸る)」「Braide = Podere(農場、大地)」という意味を元にしているため、「大地の恵を受けた」というような意味なのか。
料理としては、大昔の料理というほどでもなく、80年代にGianni Cosettiというフリウリのシェフが考案したものらしい。
時間をかけて柔らかく練りあげた温かなポレンタの上に、チーズを溶かしたフォンドゥータをかけ(ここがいわゆる”浸る”(=Toc)と言われる故だ)、そしてモルキア(morchia)というトーストしたポレンタの粉と溶かしたバターを合わせたものをかける。
一皿で栄養たっぷり。季節によって、キノコを炒めたものや、または肉の煮込みを添えたりする場合もある。アンティパストからプリモ、セコンドまでをこなせる皿ともなる。
実は、この粉のことをある雑誌の一記事にしようと思い、知り合いのウーディネのロベルト・グルーデンシェフに相談した。このCovidの様々な制限の中でオレンジゾーンに入ったフリウリは、現在、レストランも閉鎖を余儀なくされている。
そんな中でも、制限の中でできることを、と協力することを申し出てくれ、この一皿を作ってくれた。
同じくフリウリで生産されるフォアグラを添えて出来上がった一皿、Toc in Braide。
こちらは一昨年前に地元産のキノコを添えて作ってもらったもの。
ポレンタがとにかく主役となる一皿。そこらへんで購入する黄色のプラスチックの粉みたいなトウモロコシ粉では到底、この皿ができるはずがない。
力強い風味の個性ある、そして優しい自然の味わいのこの粉だからこそ、価値ある一皿となる。
Author:白浜亜紀
イタリア・ヴェネト州パドヴァ在住。ヴェネト州およびフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州を中心に、食品輸出コーディネイト、料理レッスン、生産地訪問、取材及び各種コーディネイト、企業通訳等にて活動。
管理栄養士資格。AISソムリエ協会ソムリエ。ONAFイタリアチーズ鑑定士協会認定・チーズ鑑定士。
お問い合わせは下記までお願いいたします。
e-mai; shirahama.aki●gmail.com
(●は@に変えてください)
◇パドヴァの情報ページ
トゥット・パドヴァ(TuttoPadova)
http://www.tuttopadova.com/
◇フリウリの情報ページ
トゥット・フリウリ(TuttoFriuli)
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